聖ラーマクリシュナの教えと玉城康四郎先生の禅定体験
玉城康四郎(たまきこうしろう)先生は、熱心な浄土真宗の門徒として生まれ、東京大学文学部印度哲学梵文学科に入学して仏教を学びますが、ただ学問として学ぶだけでは仏教の本質を理解することは不可能であるとして、臨済宗の老師に就いて坐禅の修行を長年続け、見性を得るまでになりますが、50歳になったころ、無意識の奥の奥に “我塊(自我のかたまり)” が隠れていることに気付き、禅宗の坐禅ではこの根本問題は解決出来ないと思い、禅宗の坐禅を離れてブッダの瞑想を始めます。そしてブッダの瞑想を進めていくうちに、瞑想が深まって禅定に入ると、ついに「ダンマが自身に顕(あら)わになる」という体験に至ります。
それを玉城先生は、
「頭がカラッポになったとき、自分自身にダンマ(如来)が顕わになる。ダンマが私自身に顕わになって通徹すると、煩悩が消滅して一切がすっきりと透明になる。こういうわけだから、“私は悟りを開いた” というのではなく “ダンマがさとりを開いてくれる” のである。」と表現されています。
これを1882年12月14日(木)のコタムリトの中のタクールのことばと比べながら見てみると、
聖ラーマクリシュナ「貯蔵室に誰か一人入っているとき、その家の主人に、ある人が、『旦那様、あの蔵へ行って品物を出して下さいまし――』と頼んだとする。主人は、『今、蔵に人が入っているから、私が行くことはないよ!』と答える。自分が主人になりすましている人間の心のなかには、神様はなかなかお入りにならない。」
蔵から人が出て行ったならば、蔵の中はカラッポ――それは、頭がカラッポということではないでしょうか。頭がカラッポになるとダンマ(如来)が入って来てくれる、蔵の中に主人(神さま)が入ってきてくれる。
また、1882年12月14日(木)のコタムリトには、タクールがヴィジャイに教えているこんなことばもあります。
聖ラーマクリシュナ「衆生の我執がマーヤーなんだよ。我執があらゆるものを覆っているのだ。〝私がなくなれば悩みも消え去る〟だよ。神様のお恵みで、〝私は全く無力である〟ということがほんとにわかれば、その人は生きながら解脱してしまう。その人はもう、何の恐れも心配もないのだ」
同じことを別のことばで教えているのではないでしょうか――とても興味深い話です。
玉城康四郎先生の話には続きがあります。
ところが禅定に入っても毎回、「ダンマが顕わになる」わけではなかった。いくら頑張っても、顕わになる時もあれば、ならない時もあったそうです。ところがある時、「求め心」がぽとっと抜け落ちているのを感じたのを境に、禅定に入る度(たび)に「ダンマ(如来)が自身に顕わになる」ようになったそうです。
このことを玉城先生は、
「禅定においては、カラッポになって如来に任せるだけ。ほんの少しでも何かを行じようという心があれば、如来の働きを妨げる。」と言っています。
「求め心」さえも捨てなければならないことは、サットヴァは至聖(かみ)のそばまで連れて行ってくれるが、最後にはそれさえ捨てなければならないということでしょうか。1883年4月22日(日)のコタムリトに3人の盗賊の例え話がありますが、タクールのこの教えと結びつきます。
玉城先生の話には、まだ続きがあります。
その後、入定の度(たび)にダンマはごく自然に顕れてくるようになり、それが日ごとに深まり、かつ拡がっていき究極の禅定を体現されていたのですが、ある時期から、玉城先生の体に通徹したダンマ(如来)がご自分の体から外に向かって放散されるようになったのだそうです。果てしなき空間へと拡がっていったそうなのです。
玉城康四郎(1915~1999)
玉城康四郎先生の瞑想体験は、玉城先生の「仏道探究」「仏教を貫くもの」「ダンマの顕現」などの著書に載っています。特に「仏道探究」は玉城康四郎先生の仏道探求の軌跡とも言えるもので、詳しく書かれています。また、玉城康四郎先生は「近代インド思想の形成」という本の中でラーマクリシュナやヴィヴェーカーナンダについても書いており、ヴィヴェーカーナンダについてはかなりのページを割いています。