大正時代にはバンキムの小説が邦訳されていた!

 1884年12月6日(土)の「不滅の言葉(コタムリト)」には、聖ラーマクリシュナが在家信者アダルの邸を訪れた際、アダルが連れてきた当時から有名だった文豪、バンキムとの対話が詳しく描かれています。バンキムは多くの優秀なベンガル文学を残しています。

 1884年12月27日(土)の「不滅の言葉(コタムリト)」にはバンキムの小説「デーヴィー・チョウダラーニー」を校長ことマヘンドラ・グプタが聖ラーマクリシュナに読んで聞かせる様子が描かれています。

 

 そのバンキムの小説を、日本で初めてヴィヴェーカーナンダとラーマクリシュナの教えを伝えた佐野甚之助がいくつか翻訳して刊行しています。

 初めて公開された小説は「虎博士の学説(原題:バグラチャリヤ・ブリハラングル)」で、聖ラーマクリシュナとバンキムが対話した40年後の大正13年(1924年)9月発行の雑誌「現代佛教」に掲載されました。

 その後、以下の四篇「インデラ」「ラダラニー」「虎博士の学説」「二つの指環」からなる「印度創作集 二つの指環 他三篇/ボンキム・チョンドロ・チャッタヂィ(佐野甚之助訳)」を大正14年4月に大雄閣から単行本として刊行しています。

 ラーマクリシュナ研究会では「現代佛教 大正十三年九月号」が入手できましたので、そこに掲載されていたボンキムの小説「虎博士の学説」の現代文をご紹介すると共に、以下の項目でバンキムについて学んでいきたいと思います。

 1)  佐野甚之助が翻訳したバンキム(ボンキム)の著作

 2)「虎博士の学説」(現代文)

​ 3)「バンキム・チャンドラ・チョットパッダエ 生涯略伝」

   (ボンキム・チョンドロ・チャッタヂィ/ベンガル語読み)

 佐野甚之助が翻訳したバンキムの著作 

(1)虎博士の学説

(2)インデラ

(3)ラダラニー

(4)二つの指環

大正13年(1924年)9月

「現代佛教  第一巻9月号」大雄閣

虎博士の学説(ページ1).jpg
現代佛教(第一巻九月号).jpg

 

『虎博士の学説』収録

 

大正14年(1925年)4月

 

「印度創作集 二つの指環 他三篇大雄閣刊

二つの指輪:印度創作集他三篇(ボンキム/佐野甚之助訳)奥付.jpg
二つの指輪:印度創作集他三篇(ボンキム/佐野甚之助訳)内扉.jpg

 

『インデラ』『ラダラニー』『虎博士の学説』『二つの指環』収録

 「虎博士の学説」(現代文) 

 

 (1)

 

 昔、虎の一族が、ガンジス川河口のサンダーバンスの森林で大きな集会を開いた時のことである。森の中の小高い丘の草むらの暗がりの中で、大きな猛獣の群れが列をなして、ぎらぎらと物凄い歯牙を光らしてうずくまって並んでいた。アミトダー(巨大な胃袋の持ち主という意味)という年長の虎が満場一致で議長に選ばれた。そこでこの名誉あるアミトダーはおごそかに立ち上がり、尾で体を支えて、この大集会に対して開会の辞を述べた。

『今日は、わが種族の歴史において、誠に記念すべき一日であります。今このところに、古くより栄光ある歴史を持ち、名声は四方八方に響き渡り、森林を家とし、そして肉食生活を営んでいるわが同胞の中でも特に著名な会員諸君がお集まりいただいて、我々同族間の幸福のために議論を尽くそうとするものであります。ただ、嫉妬深く、底意地の悪い他の動物たちの間では、我々は全く社会的ではなく、森林の中で各自が勝手気ままに離れて暮らし、到底、心を一つにして協力して活動などを行うことなど出来るはずがないというような風評が流れていることは悲しむべきことであります。そこで、前例のないこの集会の最大の目的は、このような理由のない不当な誹謗を打破することでなければなりません。そもそも文化の点において、我々は非常に日進月歩の進歩をなしています。と言うわけで、動物の中でも最も教養のある上品な種族に、近い将来になるであろうことは、間違いのないことだと思います。我々が今回、試みるに至ったこの集会のような協同活動の方法によって、他の動物を捕獲するという先祖伝来の職業を、平和に、かつ盛大に続けて行き得るようになることは、私が最も望んでいるところであります。』

 皆、尾を地面に叩いて、喝采、喝采、大喝采!

『まさに、そういうことであります。しかしながら、わが兄弟諸君、特にここにお集まりを願った趣旨を簡単に申し上げれば外でもない、ここ数年来我々の間において、一般に風紀が乱れて来たということは、諸君もすでにご承知の通りであります。これは残念ながら議論の余地のないことですが、しかし、その対応策は難しいことではないと思います。我々仲間の間でも、教育に対する真の要求が段々喚起されて来ていることは事実であります。近年、動物の一般状態が向上しつつあるこの際において、我々も又、その例に従って、進歩、発達を遂げねばならないのであります。この会議は、わが種族の教育上の必要事項に関して、協議する為にお集まりを願った次第であります。これをもちまして開会の辞と致しますが、何卒、これより提出される緊切なる議案については、互いに胸を開いて十分にご討議されることを望みます。』

 議場は勇ましき雄叫びをもって、この簡潔な演説に対して歓迎の意を表した。

 

 それから様々な決議文が読まれ、又非常に長ったらしい賛成の演説があった。その議論するところ、文法上から言っても、又修辞上から言っても立派なものであったが、その言葉の勢いはとても凄まじいものであった。実にその高き虎声の雄弁は、森林を震わせる程であった。

 

 議事が終了した後、議長が起立して発表した。

『諸君はご承知でございましょうが、虎族の中で博識家として有名なブリハラングル(長い尾の意)という方が、この森に棲んでおられる。この学識ある紳士はご多忙中にもかかわらず、今晩ここで「博物学上の人間」という演題で、講演をして下さるということでありますから、何卒ご静聴願います。』

『人間』という言葉を聴いたものだから、聴衆席の若い虎たちは、急に腹が空いたような感覚を催して来た。しかし、そういうような立食パーティが別に準備されていなかったので、皆、性来の欲望を抑えつけて我慢していた。博学な講演者は議長の招きに応じて、低い唸り声と共に立ち上がり、周りを驚かさんばかりの大声で、次のように講話を始めた。

『議長、紳士、及び淑女諸君! 人間は一方より見れば二足動物であると考えられている。しかし、羽根を持っていないので鳥類という訳には行かない。しかし見方を変えれば、彼らは四足動物と多くの共通点を持っているのです。ことにその四足及び骨組みは、とても類似しています。彼らの骨格上の構造から一般的な観察を下せば、私は人間を四足動物の中に編入しても差し支えないものと信じます。もっとも、彼らには他の動物が持っているような優美さと体力には乏しいので、鳥類などの二足動物に分類するべきなのでしょうが、ただこの点だけで二足動物と見なすのは適当ではないと思うのです。

『四足動物中でも、彼らは猿に酷似しています。理学者の言うところによれば、動物は多くの年代が経てば、無かった手足や欠けている機能でも漸次発達して来て、動物としての真価も高まるということなのです。それで、進化の理法によって、人間もいずれ尾を生ずるようになり、猿のように威厳を高めるようになるということを期待するのは、さしたる間違いではないのであります。

『無論、諸君は人間とは、美味なもので消化し易く、かつ滋養に富んでいるということは、皆、ご承知の通りであります。』

 この言葉を聞いて、会員たちは舌舐めずりした。

『また彼らは、我々のように高貴な種族にとっては、捕らえやすい獲物であるということも御存じの通りである。鹿と違って、彼らの逃走力は全然速くない。我らの森林に棲息する野牛とも違って、角も無ければ、又それを用いる程の強い力も持っていない。理解ある人間ならば、彼らは虎に食われる為に慈悲深い神が創造したものだということは、間違いないことである。それで、逃走する力も防禦する力も与えられていないのである。この明白な理論以外に、生存競争の中でこんなにも無気力で、こんなにも不適当なものがなぜ存在するかということは考えられないのです。とにかく、彼らは食物としては良好なるものであることは、間違いのないことです。それには多くの理由があるのですが、特にその肉の柔らかい点を非常に好んでいるのです。驚くべきことには、我々が彼らを好んでいるのと同じように、彼らも又、我々を珍重しているのであります。もしこの説に疑いを挟む方があるならば、その証拠として、私自身の経験談を述べることに致します。

『私は自慢するわけではありませんが、自分の研究の必要上、今晩ここに御出席なさっているどなたよりも、広く旅行したと言ってもよいと思います。私がいろんな場所を遊歴してる中に、わが大いなる種族の郷土であるこのサンダーバンスの北の地方を旅行したことがあります。そこは雌牛、人間、その他の無抵抗で無害な生物の住んでいる土地であって、その地方の人間には、皮膚の色の白いのと、黒いのと二種あります。ある日、私は「職業」の為に、外出をしたのである。』

 聴衆の中のマハダムストラ(大きい歯を持ったという意)という質問好きの虎が、発言を求めて口を開いた。

『お訊ねいたしますが、一体「職業」という言葉は、どういう意味でしょうか?』

 講演者は答えて言った。

『「職業」とはひと言で申すならば、食料の捜索である。進歩した種族は現在、皆、この婉曲法を用いて表現しています。もっとも私は、この一般的な業務を、いつもこの言葉で言い表すことは難しいということを認めます。階級の高い尊敬すべき人間たちの場合には、「職業」と言っても間違いではないが、低劣な人間どもが生計の為にする仕事は往々にして、窃盗、家事、労役、又は物乞い生活となるのです。不正直な人間の職業は普通、窃盗であるが、特に脅迫的に掠奪するものは強盗と呼ばれます。しかし強盗という言葉を、むやみに用いるわけにもいかない。場合によってはそれを「大物」という言葉で呼ぶことがあります。強奪が刑罰に触れる場合には「強盗」と呼ばれますが、他の方法で奪取する場合はすべて「大事業」と呼ばれるのです。諸君が上流社会と交際される場合には、これらの区別を知っていなければなりません。そうでないと、無教育な輩(やから)と考えられるところがあります。私が思うに、こういうことはあまり問題にすべきことではなく、食事第一という言葉を中心にすればよいと思います。

『さて、講演に戻りますが、とにかく人間は虎を非常に重んずるのであります。前に申した通り、ある日、私は「職業」の為に人間の住んでいる地方を徘徊していました。諸君はお聞きでございましょうが、数年前サンダーバンスにカンニング港修築株式会社が設立されたことがあります。』

 マハダムストラは、ここで再びカンニング港修築株式会社というのは、どんな格好をした動物なのかと質問して講演をさえぎった。

 これには講演者は少し弱った。

『正直なところ、私はまだその外観がどのようなものなのか、又、生物のどの種属に属するものか確かめていません。がしかし、私はそれは人間の造ったもので、その飲むところのものは人間の脂や血であって、従って滋養分の為に非常に肥っているということは聞き知っています。私はここで、人間という種族は非常に浅はかなものであるということを申さなければなりません。彼らは絶えず、自分たちの破滅の方法を考案する為に、日夜苦労しています。彼らの使用する刀剣や銃砲はこの事実をとてもよく証明しています。小耳にはさんだところによると、彼らは広い場所に何千となく集まって、これらの武器を使って周到な作戦計画の下に、互いに殺戮し合うのです。私自身の信ずるところによれば、このカンニング港修築株式会社なるものは、人間同士がお互いを破滅する為に創造した悪魔の形をしたものなのであろうと思っています。

『それは、しかし私の演題に無関係のものであります。なので、もう質問などはなさらないようにお願いしたい。自分に与えられた時間には制限があり、なお又面白いお話もたくさんあるのです。議長も、このような質問は進歩した社会の集会においては、秩序を乱すものであるということについては、同意していただけると思います。

『さて、紳士及び淑女諸君、私は職業である狩猟の為に、このカンニング港修築株式会社の所在地であるモトラに行ったのである。そんな折り、丈夫な竹で造った奇妙な建造物の内に、丸々と肥ってうまそうな子牛がいるのを見つけた。戸口が開いていたものだから、私はこのように魅惑的に供えられた食物を味わう為に、その中に入り込んで行った。その建造物は不思議な構造であって、私の後ろで戸がひとりでに閉まってしまった。それと同時に、五、六人の人間が出て来たのだ。私の出現したことは、彼らに大いなる歓喜を与えたことは明らかであった。彼らは叫んだり、笑ったり、その他、異様とも言える格好をして喜んだのです。彼らは、私の体力と美貌の称讃に夢中になっていた。彼らは、私の爪、牙、ことに私の尾について驚嘆の感情を隠せないような喜びようであった。ある者は実際、愛情の念をもって「兄弟分」というような言葉をもって私を呼んだりした。

『ついに彼らは私の入っている一時的な小屋――彼らの言葉で言えば〝檻(おり)〟と申しますが――と共に、厳かに私を持ち上げて車の上に安置し、二匹の純白な牛にこれを牽かせたのである。実際これらの動物を見ては、空腹の虫が我慢出来なかったが、差し当たり、この不思議な檻から脱出する方法も無かったので、仕方なく私は親切な捕獲者が、たくさん提供してくれる子牛の肉で我慢する外なかったのである。このように荘厳とも言える旅行をして、行く先、行く先で愉快に御馳走になった後、とうとう市中の一人の白人の住居に運び込まれた。彼はご丁寧に戸口まで出迎えて私に挨拶をして、そして親切にも優美な鉄柵で飾り立てた住み家を私の為にこしらえてくれた。ここでは彼は毎日、私の満足の行くように、生きているヤギとか羊とか、又は新鮮な肉を出してくれた。他の様々な人種や階級の人々も私に敬意を払いに来て、その崇敬なる礼拝は、明らかに彼らに取って功徳になったものと思う。私は久しく、この手広い安全な住み家にいた。愉快であったし便利なので不自由も無かったものだから、しばらくは私も満足であったばかりでなく、幸福のようにも感じていた。しかし間も無く、私はホームシックにかかってしまった。この神聖なるわが郷里を想い出した時には、とてもたまらなくなって、悲愴な咆哮を禁ずることは出来なかった。ああ、サンダーバンスの母国よ、どうして私が母国を忘れることが出来よう! なつかしい森林を思う時、羊の肉などは食いたくなかった。もっと正確に言うならば、私は羊の皮や骨は食べなかった。そして私の尾でもって猛烈にあちこち叩きつけて、心配そうに見ている見物人に向かって、私の苦悶を訴えた。ああ、わが生誕の地サンダーバンスよ! 私が母国を離れていた時は、非常に空腹の時以外は私は一食もせず、本当に眠くなければ一睡もしなかった。私の悲哀の最も有力なる証拠として挙げ得ることは、私は決して、本当に決して、腹一杯食べることはなかった――せいぜい食べても0.5キロか1キロ、決してそれ以上は食わなかったということを断言してはばからないのである。決して、それ以上は!』

 これらの回想によって、講演者は余程興奮したものと見え、しばらくの間黙然としていた。彼は感極まって泣いたに違いない。実際、涙の一、二滴が乾いた大地に落ちたように見られた。しかし本当のところは、異郷で囚われていた間に、毎日提供された食べ物の味を思い出して、よだれを流していたのである。とにかく正気に立ち戻って彼は又説き出した。

『このように、私が人間の縄張りの中に踏み込んで冒険を試みたことについて、このように詳しく述べる目的は、人間という種族の特性を詳細に研究するのに、私はたくさんの理解を得たことを証明する為である。私の話すことは皆、自分で実地に観察して来た実体験である。旅行者の中には、よく見もしないことを真実らしく申し上げる方もあるが、私はそういうことは好まないのである。私はひとこと申しておきますが、人間の風俗習慣に関して、我々の間で信じられている多くの説を、私は全然信用しないのであります。例えば、我々は人間は虚弱な動物ではあるが、彼らが住む大きくて高い建物を建造することが出来るというように教え込まれて来たのであるが、私は一度もこのような建築物を組み立てているところを見たことはありませんでした。彼らが、このような住み家を建設する能力を持っているという証拠は何一つないのであります。私自身の確信するところによると、人間の住み家は、実は自然の力で出来上がった小丘であります。小丘には洞穴がいくつもあって、人間の中の利口な者は、これらの便利な隠所に住んでいるのであります。

『それから人間という種族は肉草両食動物である。即ち肉も食えば、また果実や草根なども食べるのである。彼らは大きい樹木を食べることは出来ないが、野菜や草根などは食べている。彼らが野菜を好んで食べるのは非常なもので、田んぼと称する囲いをした場所でそれを栽培している。そして他人の田んぼに入り込んで作物を盗むということは、全く許されないことなのである。』

『彼らが、果実、草根、蔓草、野菜を食することは、今や動かすことの出来ない事実であると思うのだが、しかし、彼らが本当に草を食べるのかどうか、私にはまだ断言が出来ません。私は、人間が草を食っているところを見たことがないのです。しかし、この点については、私はちょっと疑問を抱いているのです。白人種及び高貴な黒人種は、芝生と言って区割りを設けて丁寧に草を植え付けているのである。どうもその草は食料にする為のものだろうと思われる。実際、私はある時、一人の黒人がベンガル語で「国家も滅亡しかかっている。すべての白人も他の富豪どもも皆怠けて、草を食っているばかりだ。」と言うのを聞いたことがあるのです。これにより推測すると、人間の上流社会の者は、草を食うと言うことが、どうも真実に近いようである。

『人間が怒る場合に、「俺が草を食べるとでも思っているのか?」と怒鳴る癖がある。どうやら生計を立てている自分たちの職業を隠すということは、彼らの特性の一つである。草を食っているだろうと疑われて憤慨する人たちは、実際、草食動物であると判断しても間違いのないようである。

『人間は又、いろんな動物を崇拝している。取るに足らないこの私に対しても、途方もなく崇敬を捧げてくれたということは、既に申し上げたところである。馬も崇められている。馬の為には小舎を作り、毎日飼料を与え、かつ丁寧に化粧をしてやっている。これらの行いを見れば疑いもなく、馬の位が高いことを認めている真摯な心情によるものだと分かるのである。

『また一方で人間は、ヤギ、羊などの家畜を飼育している。私は一度、雌牛に関して、彼らの行為の意外な事実を見たことがある。何と彼らは、牛の乳を飲んでいるのだ! この事実をもって我々の古い科学者は、人間が一度子牛であったに相違ないと推論している。私はこの点を詮索はしないけれども、彼らが牛の乳を用いているということは、たぶん彼らの才能は牛のように遅鈍であるからだろうと思う。これはとにかく、人間はヤギ、羊などの家畜を飼育して肉を得る便利な方法を考えている。これはとても賢い方法と言うべきであり、我々も人間小屋を建てて、これらの必要なる動物を飼育し、その肉を得る方法を採用するような日の来ることを希望する次第であります。

『私は人間は家畜や、馬や、羊などを大切にするということは今述べた通りであるが、この外にも彼らは、象、ラクダ、ロバ、犬、猫、及び鳥類のようなものまでも飼っている。それで、人間はすべて、他の生物の自然的奴隷、又は下僕であると評しても差し支えないであろうと思います。

『私は人間の住所に多くの猿を見ました。これらの猿には二種類あって、一つは尾があり、他は尾がない。尾のある猿の多くは、屋根や樹林の上に棲んでいる。地面にいるものも少しはいたが、大抵は高いところに位置を占めていた。これはたぶん、自分達は優秀なる種族の者であるという、彼らの間違った見解によることだと考えられるのである。

『人間の道徳、特にその結婚制度などの習慣は、極めて興味深いものである。政治上の制度に至っては、更に又驚嘆に値するものがある。私はこれらの点にわたって詳しく述べることに致しましょう。』

 こう言っている間に、尊敬すべき議長は、遠くに一匹の小鹿の姿を見つけたので、突然、跳躍して椅子を飛び去り、後を追い掛けて行ってしまった。

 彼は視力が鋭敏なるが故に、議長に選出されたのであった。

 講演者は、議長が講話に興味を持っていないこの態度を見て、多少、不満気味であった。聴衆の中で最も利口な一匹の虎がこれを見て取って、

『先生、我々の尊敬すべき議長が不意に立ち去ったことを、何とぞ悪く思わないよう願います。彼はやむを得ない「職業」の為に飛び出したのです。鹿の一群が近くに来たのでしょう。私にはその臭いがします!』

 こんなことを聞いては、聴衆は到底、我慢出来るわけがない。たちまち我先にと、尾を高くおっ立てて、各自「職業」に向かったのであるが、博識な講演者も又その例に洩れず、後を追い掛け出した。このようにして、その日は大会も中止の止むなきに至った。

 

 (2)

 

 次回の集会の時には、沢山のごちそうにあり付いた後であったので、講演の後半は無事に終了することが出来た。

 講演者は再び、次のように講話を始めた。

『議長、紳士及び淑女諸君! 私は前回、次には人間の異様な結婚制度などの習慣について所見を述べる旨、申しておきました。よって私はまずこれらの事について、皆さんに聞いていただきたいと思います。それで前置きは省きまして、すぐに本題に移ります。

『諸君はすでに、結婚の意味はご承知の通りである。諸君はその時々の場合により結婚を行ってこられた方々である。しかし、人間の解する結婚は、多少それと異なっているのです。虎や他の高等動物の間で、結婚というものは同じ条件の下に雌雄の間で行われる、ただ一時的な結合でありますが、人間の社会では、結婚は一生の長きにわたる男女間の関係であることも珍しくないのです。

『ところで、人間の結婚には「正婚」と「不正婚」という二つの結婚があります。この二種のうち「正婚」すなわち宗教上の儀式に従う方は尊重されます。これは僧侶が仲介をして行うものです。

 例のマハダムストラはまたこの時、

『一体、僧侶とは何のことですか?』

 講演者の答えは、

『辞書の中で説明してある定義によると、“米やバナナを主食として、詐欺を行う人間の一種”としてあるけれども、しかしこの解釈は適当ではありません。と言うのは、すべての僧侶が菜食家というわけではないのです。多くは肉食もするし飲酒もします。それどころか、ある者は食を選ばず何でも食べるのです。ベナレスという町には沢山の聖なる牛がいて、草のほか何も食べない草食家なのですが、これらは詐欺をしないから僧侶ではありません。とにかく、詐欺師であってバナナと米を常食とする者は普通、僧侶と言ってもいいのである。

『宗教上の儀式を伴う結婚の実態は、僧侶が厳めしく座って新郎新婦の仲介をするということにあります。彼は坐ると共に、歌の文句のような声で早口で何か唱えます。これが「結婚式」というものである。私は不幸にして、このような儀式に用いられる唱文を得ることは出来ませんでしたが、確か、こんな訓言であったと思います。即ち、

『おお、男子と女子よ、結婚の契りにより結びつきなさい。もし汝らがこのように結婚するならば、私は米とバナナに決して困ることは無いのです。そういう訳ですから、汝ら共に結びつきなさい。新婦が一生の間で行われる様々な祭礼の場合においても、私はこれに立ち会いましょう。それによって私は多くの米とバナナを得ることが出来ます。さらに、汝らの子孫の生涯中行われる多くの祭礼においても、私は沢山の米とバナナを得ることが出来るでしょう。というわけですから、汝ら両人、お互いに結婚しなさい。夫婦として家族の家長に立つときには、いろんな場面で怠らずに祭礼を行いなさい。その時には私がていねいに、ふさわしい祭務を行いましょう。さあ、汝らは堅く結びつきなさい。一心同体であれ。決して互いに離れてはいけない。でなければ、私の所得が欠乏するおそれがあるのだ。もし汝らが離別するようなことがあれば、我らの先祖の訓戒の通り、汝らは相当の罰を受けて堕落に陥ることは免れられない。』

『宗教上の儀式を必要する結婚を解消してはならないと考える理由は、疑いもなくこの罰を恐れるがゆえである。ところが我々の仲間が行っている結婚の形式はといえば、「不正婚」と言われている。これは人間社会において、皆が知っているものである。実際に、男女共に正婚と不正婚の二つの結婚形式を行っているものも見受けられる。しかし、こういう違いがあるのです。私の見たところでは正式な結婚は公然と挙行されるけれども、これに反して他の結婚=不正婚は、秘密に行われるのです。もしも、ある人が他人の秘密の結婚に感づいたならば、彼は早速その者を攻撃するか、もしくは迫害するのが常であります。これは僧侶の煽動によることは、間違いないことである。というのも、僧侶などの人間は、正式結婚によって衣食しているからである。不思議なことに、これらの結婚ではっきりしていることは、秘密の結婚をしている人々は、自分たちと同じようなことをしている者を攻撃するということである。私見によれば、人間の大多数は、実は我々の間で行われているような結婚つまり「不正婚」には賛成であるが、「僧侶」が怖いのでこれを口に出さないのである。人間の間に滞在中、私は主に上流社会の人たちの間に、このような男女関係が流行していたことを確かめた。言い換れば諸君、この点に関して、我々種族の古来の習慣を真似ている人間が最も進歩した、かつ教養ある者であるということである。この興味ある種族の社会が次第に進化して、一般にもう少し合理的で、かつ文明的な結婚が行われるようになることを望む次第であります。実に人間の中で最も智識があり、最も気品の高い者は、「自由恋愛」という美しい言葉を使って、その普及の為に書物を書いているのです。見識あるこのような人たちを、我々の大会の名誉会員に推薦するのが良いのではないかと思いますが、いかがなものでしょうか? もしこれが実現した暁には、我々の中で血の気の多い友人が、その名誉会員となった人間を食料品と考えることが絶対にあってはなりません。結局のところ、彼らも社会進歩については、純真かつ哲学的な本能を持っているようなので、我々に似ているのであります。

『不正婚の中に、もう一つ面白い種類の結婚があります。それは「金力結婚」と呼ばれるものです。この場合には、両者の間に貨幣の受け渡しが行われます。』

 マハダムストラ――『貨幣とは何ですか?』

『貨幣とは人間が礼拝している神の一つです。初めにこの宗派について、少しばかり説明を加えておきます。人間の信奉する多くの神の中で、貨幣には最大の尊敬を払われています。それは金とか、銀とか、銅とかで造った、とても珍奇な形像によって表されているものです。私ははっきりとは分かりませんが、ある理由で、その偶像は決して鉄やブロンズや木では出来ていません。これらは絹や木綿やあるいは皮製の入れ物の中に大切に貯えられていて、人間は日夜これに対して崇拝を怠らないのです。さらに、常にこれらの不思議な偶像に接近しようと努めているのです。多くの貨幣が蓄えられている家の門前は、熱心な礼拝者で雑踏しているという有様なのです。人間は襲われようが、投げ出されようが、決してこれを手放すことはありません。貨幣を豊富に貯蓄しているこの宗派の僧侶とでも言うべき者は、社会より最上の尊敬を受けています。もし人が、このような高僧から目礼でも賜ろうものならば、心中嬉しさに堪えないという有様であります。

『この貨幣なる偶像は、人間社会の取引上、全知全能の神なのであります。人間の欲するものは何でも、これで得られないものはありません。その誘惑のために、たくさんの罪悪が行われているのです。利益を生む貨幣に祈願する時は、多くの不正が見逃されてきたのである。貨幣の後援なしには、人間社会のおいては、どんな善徳も存在しないのである。この最も優越な偶像である貨幣をたくさん所有している者は、確実なる人として崇められています。いかに学者に学識があっても、この貨幣を有していなければ馬鹿者として軽蔑されます。我々が「大虎」という場合、力量と美貌と勇気の持ち主を指すのであるが、しかし人間の言う「偉人」という人は、二メートルも三メートルもある者を呼んでいうのではない。そうではなく、いかなる手段によって獲得したにせよ、神聖な貨幣なる偶像をたくさん所持している者を指すのである。この利器を持っていないと、いかに強靭な体格の者でも、「劣った者」と言われる外、ないのである。

『私は最初、この神の魔力を知った時に、この宗旨を我々の社会に普及しようと考えたことがありましたが、その後の様々な研究によって中止することに致しました。それが持っている陰険な力というものが、実に人間の災厄の根源を為しているものであることを発見したからであります。虎など人間以外の動物は、お互いにねたみ合うということはしません。しかし、憐れむべきことに人間は、はるかにこれと違っています。彼らは信じることが出来ない程、互いに憎悪し嫉妬しています。その異常の唯一の原因は皆、彼らの主神である貨幣から起こることなのです。これを獲ようとする欲望の為に、彼らは常に仲間の者の没落を企むのである。前回の講話において、私は人間が幾千となく一緒に集まって「戦争」をするということを申しました。その破壊的行動の原因をなすものは、それはやはり貨幣であります。この実に有害なる神に服従するために、人間はお互いに、殺傷、疾病、落とし入れ、嫉妬、怨恨、その他すべての悪徳の極みを尽くしているのであります。私はよく考えて見て、それで、この危険極まりなき非社会的な教義をわが平和にして正直な団体の間に紹介しようとした提案を、ハッキリと止めようと思うに至った次第を、お分かりいただけたことと存じます。

『しかし、人間にはこの理屈が分からないのであります。私はすでに、当然の成り行きとして、人間はお互いの破滅に没頭していることを話しました。彼らはその崇拝する金銀の奇妙な円形の偶像を追求せんが為には、いかに馬鹿馬鹿しい、そして非社会的な行為でも、あえてするのです。

『人間の間には、その他、結婚制度のように不条理で滑稽な慣習が他にもたくさんあるのですが、しかしこれ以上講演を続けることになると、時間が長くなるので、諸君の職業上の御差し支えになると思いますから、これらの点については、他日の機会において詳細に述べることに致します。』

 と言うわけで、聴衆の喝采のうちに、学識ある講演者は席に戻った。博学なデルガナカという壮年の虎が、講演について討論する為に起立した。

『紳士及び淑女諸君、私は著名なる講演者に対して、満場一致の感謝を述べることは、私にとってとても喜ばしいところであります。しかし、学理上の正確さを尊ぶ上からしますと、私はその講演はとても貧弱なもので、滑稽な間違いだらけのものであったということをはっきりと断言するものであります。すべての尊敬を払うにしても、私は、わが友人を愚者に近いと評されても、仕方ないと思います。』

『異議あり! 異議あり!』との叫び声あり。

 議長が立って発言する。

『わが年若き友人にご注意いたしますが、上品な社会では、このような不謹慎な発言を発することは許されていません。無論、議会の場合でなら、もっと攻撃的な批難を下すことは更に構いませんが。』

『静粛に! 静粛に!』の声あり。

 デルガナカ曰く、

『私は議長の命令に従います。私は講演が充分に信用すべき方であるということは、喜んで申しますが、しかしその講演の大部分は、根拠のない作り話で、僅かに一つか二つぐらいが真実なのです。講演者が著名な博識家であるということは、我々すべての認めるところでありますが、我々の多くの者は、その講演を聴いてつまらないものであったという感じを抱いたと思います。無論、我々が今日拝聴した教訓については感謝する次第でありますが、私は、その説くところに賛成を表することは出来ないのであります。ことに人間の間で行われる結婚の制度に関して述べられた彼の観察は、全然誤っているのです。我々の間では、もし或る虎が種の維持の為という見解をもって、雌と連れ添う時には婚姻を構成するのですが、人間の結婚はこの類ではありません。人間は生来貧弱にして、独り立ちの出来ない動物であります。それで人間は各自、自分より優れた者の助力に頼らなければならないのであります。即ち、その指導者、支配者として、同種属中の女性を見定めることは疑いのないことであります。諸君、これが即ち、彼らの婚姻というものです。証人の面前で行われる儀式は宗教上の結婚であって、その証人なる者は「牧師」と言われています。このような場合に用いられる誦文として、講演者が言われたものは、全く不正確なものでした。

『本当の文句は、大体こんな意味のものです。

 牧師『この約束を為すにあたって、あなたは私が証人となることを希望しますか?』

 新郎『牧師様、私は死が我々を切り離すまで、この婦人を私の正当なる支配者、及び指導者とするについて、あなたが証人となることを望みます』

 牧師『その他に何か?』

 新郎『私はここに、この女の忠実なる奴隷、及び下僕として働くことを約束し、かつ宣誓します。私は喜んで、我々協同の生活に対して、食物を得るための労役に服します。この婦人の唯一の職務は、私の得るところのものをただ座って食べるだけで良いのです。』

 牧師(新婦に向かって)『何か言うことがありますか?』

 新婦『私は喜んで、この男を私が婚約した奴隷といたします。私の好むようにする間、この男を私のための労務に従事させましょう。私がもはや、その助力と同居とを望まなくなった時には、遠慮会釈もなくこの男を追い出すでしょう。』

 牧師『それでよろしい。アーメン。』

『しかし、我々が聴いた講演の中で、このような間違いは、他にも多くあるのです。例えば、貨幣は人間の間では崇拝の目的物となっていると言われたが、これも大いに不確実である。反対に貨幣は、恐るべき毒物なのです。どうやら人間には、むやみに有毒、有害な物を消費する癖があるようです。これが彼らが貨幣をいくらでも蓄める理由なのです。彼らがこの貨財を尊重するのを見て、私も若い頃、それは食べたら美味いものだという風に、つい思ったことがあります。食物としてどんな味のものか、一度経験したいものだと思っていた時に、或る日のこと、ヴァイデヤダリ川の美しい岸辺で人を仕留めた時に、その者の着物の間に貨幣が入っていました。そこで早速、これを呑んでしまいました。そうしたら翌日になって、消化不良の為に非常に苦しんだことがあります。これをもって見ても、貨幣は毒物の一種であるということに間違いありません。』

 その後、二、三の議論があった後、議長は皆に向かって、次のような簡単な雄弁を振るって閉会を宣言した。

『紳士及び淑女諸君、

 今晩は時間もだいぶ経ちました。さらに又、「職業」に着手する時刻も近づいて来たのであります。まあ具体的に言えば、いつ鹿の群れがやって来るかも知れないということであります。そこで私は長時間の会議で諸君を困らすようなことはしません。今晩この席で拝聴した講演は、まことに優れた議論であったということについては、諸君も私と同感のことと思います。そして討論の為に、非常に興味ありかつ有益なる「論題」をご提示いただいた学識ある講演者に対して、最大の感謝の意を表する次第であります。我々が拝聴しました内容から、皆さま方は同様に一つの結論に達したことと存じます。即ちそれは、人間なるものは実に野蛮な種属であるということであります。これに反して我々は、文化の非常に発達した種属であるということです。そこで人間の教化改善に関しては、我々の力の及ぶ限りの事を尽くすことが、我々の当然の義務であると言わねばならないでしょう。私は密かに信じますが、神が我々をこの美しいサンダーバンスに使わされたということは、この目的以外にはないのではないでしょうか。それに加えて、人間は文明の程度が高まる程に、ますますその肉は軟らかにして美味となり、さらに容易に捕えられるようになるのです。彼らの教育が改善される程、彼らは、だんだんと自分等の存在の主要な目的は、虎に対して食料を提供する為であるということを、明らかに理解するに至るのです。このような文明を彼らに与えることは、実に我々の任務なのです。私が考えていることを皆さんに提示して、十分に御判断を仰ぎたいと思います。我々虎族の高き使命は、第一――人間を教育すること、第二――彼らを食い尽くすこと、でなければなりません。』

 この爽快なる結びの言葉は大喝采をもって迎えられた。議長の労に対する謝辞が述べられた後、散会することになって、各自「職業」の遂行に取り掛かる為に立ち去ってしまった。

 

 大会会場の周囲には、大きな樹木がたくさん茂っている。その樹木の葉の蔭から、猿の一団が密かにこの議論を聞いていた。虎どもが解散してから、一匹の猿が葉の間から顔を突き出して言うに、

『おーい、兄弟たち、そこにいるかい?』

 他の猿、『貴公、何か用か?』

 第一の猿、『まあ、こっちへ来給え。虎どもが議論していたことを批評してみようじゃないか。』

 第二の猿、『奴ら虎どもは俺たちの代々の敵だ。公明正大に奴らを批判して、俺たちの積もる恨みを晴らそうじゃないか。』

 第二の猿、『そうだとも、貴公の言われる公明正大なる態度こそ、我々猿族の特性だよ。』

 第一の猿、『さて、だがしかし、奴らはまだ、そこらをうろついてはいないか?』

 第二の猿、『いいや、皆行ってしまったよ。何、いいじゃないか。どうせこんな樹の葉の蔭の安全な場所で話すんだから。』

 第一の猿、『なるほど、しかし、もし俺たちが奴らに見付けられたら最後、飽くことを知らない奴らの腹に、よい御馳走を提供するという危険があるからなあ。』

 第二の猿、『ところで、残虐な奴らについて言いたいことは、どんなことかな?』

 第一の猿、『第一には、奴らは非常に非文法的に話をするということだ。俺たち猿族は、文法では実に天才である。奴らの語法は遺憾ながら、俺たち猿の文法と違っている。』

 第二の猿、『もっともだ。それから何だ?』

 第一の猿、『奴らの言語は、実に聞き苦しい。』

 第二の猿、『本当だ。彼らは猿語を用いない。』

 第一の猿、『例えば、奴らの議長は、〝虎族の高き使命は、第一、人間を教育すること。第二、彼らを食い尽くすこと〟というような、七面倒臭い語法を用いたが、なぜ奴らは、〝第一に彼らを食い尽くし、その後、彼らを教育す〟という風に言わなかったのだろうか? この方がよほど、合理的な説法であったんじゃないか。』

 第二の猿、『もちろんだとも、それでこそ俺たちは猿と呼ばれる所以じゃないか。』

 第一の猿、『奴らはいかに議論を戦わすべきか、又いかなる言語を使用すべきかということについては、何にも考えていない。それに比べて俺たちが演説をする時は、早口に喋ったり、あちこち飛び廻ったり、顔の筋をしかめ上げたりして表情をつけたり、時々バナナを掴んだりすることもふさわしいことであるのだ。奴らは俺たちから、弁論術について、教授を受ける必要があるよ。』

 第二の猿、『そうすると、奴らはただ虎というばかりでなく、又猿にも成り得る望みも、そこで出て来るというものだ。』

 その間に他の猿たちも隠れていた場所から現れて来て、その中の一匹の猿が言うのに、

『俺の考えによれば、演説の中の主な欠点は、議長が自分勝手に智慧を振り廻して、文学の上から見てかつて前例のない色んな文句を用いたということが原因なのだ。古代の学者がよく噛み砕いてもあまり理解されなかったような辞句は、非常に誤りやすいものである。俺たち猿類は永い年代の間、噛み砕くということに時間を費やして来たのである。虎どもが我々の例にならわなかったということが、奴らの失敗なのだ。』

 この時、愛らしい女猿もまた意見を述べた――

『私はあの議論の中で、いくらでも誤りを指摘することが出来ますよ。彼らが話していたことが、よく分からなかったという時が、何度あったか知れません。聴衆の女性たちに判らないような議論をするということは、ほんとうに大欠点であります。』

 他の猿が口を開く。

『俺はすべてこの演説について、これこれの錯誤があったと指摘することは出来ないけれども、しかし俺には、虎にはどうしても出来ないであろう事が出来る。すなわち俺は、顔を醜く歪めることも出来れば、又とても卑俗で、かつ嫌悪すべき罵詈雑言の限りを尽くして、俺の教育と才能を表すことだって出来る。』

 こんな具合に、猿たちは代々の仇敵である虎どもの上に、あざけり、罵りの言葉を浴びせ掛けた。頑丈な年上の猿は、こう言って評議を閉じた――

『ブリハラングル教授が、その講演に関して、こういう遠慮のない批評を聴くことが出来なかったことは、いかにも残念である! これを聴けば必ず、ヤツは虎穴に退いて悶死することであろう。さあ、みんな、来たまえ! バナナでも食いに行こうじゃないか。』

 

 バンキム・チャンドラ・チョットパッダエ 生涯略伝 

(ボンキム・チョンドロ・チャタージー/ベンガル語読み)

バンキム・チャンドラ・チョットパッダエ

生涯略伝

 文学は宗教や哲学と切り離して考えることはできないほど、互いに密接な関係を持っている。さらに、大宗教、大哲学を産んだインドは、また大文学が産まれる場所でもあって、天空の神々に捧げた讃歌の作者である賢聖によって、数千年の太古から、マハーバーラタ、ラーマーヤナ、シャンクタラーなどが著された。さらにカビールやトゥルシーダースなどの詩人、哲学者を経て、思想、哲学が次々と輩出し、近代インド文学の隆興の基礎を作ったのである。

 近代のインド文学を概観すると、地方語文学は韻文時代と散文時代に分かれている。18世紀以前までは、近代文学もまた中世文学と同じく、もっぱら韻文をもって書かれていた。しかし、18世紀以後、インドは西欧文化の影響を受けて、古来からの因習を脱却し、新たに散文学の新しい局面が展開されるようになった。そんな中、インド地方語文学中、最も進歩発達したものはベンガル文学であって、近代インド文学と言えば、ほとんどベンガル文学を指すような観がある。

 梵語(サンスクリット)の伝習的原理を排斥し、近代インド文学界に革新を興して、自由な一つの別天地を開いた散文学の父は、ブラフマ協会の創立者にして社会改造論者である、ラーム・モハン・ロイ(1774~1833)である。彼の後継者は、同じく社会改革者、教育家、及び論文家として有名なイーシュワラ・チャンドラ・ヴィディヤサーガル(1820~1891)であった。天才詩人ミッシェル・マドゥスーダン・ダッタ(1828~1873)もまた、その頃の人である。

 次にインド文学界に燦然と頭角を現したのがボンキム・チョンドロ・チャタジー(1838~1894)である。インドにおける最初の小説家、また前人が創始した散文学を大成した文豪である。

 次に続いたのは、学識に富み、史学に長じ、かつ政治的手腕を持っていた論文家、ラメシュ・チャンダー・ダット(1848~1909)であった。そして今は詩聖ラビンドラ・ナート・タゴール(1861~……)の独壇である。以上は皆、ベンガル人の中でも奇才と言うべきであろう。

 

 ボンキムは1838年6月27日、カルカッタに近いカンタルパラ村で産声をあげた。父はカルカッタの西約160キロに位置するミドナプールの副収税官だったので、彼はここでしばらく初等教育を受けたが、頭が良く勤勉でもあったので、成績は常に学級の上位を占めていた。十一、二才に達してカルカッタ対岸のホウグリー・カレッジに移ったが、やはり優秀な成績を示し、学課だけでは知識欲を満足させることは出来ず、付属の図書館に入り浸って様々な本を読みあさり、知見を広めることに努めた。

 早婚はインドでは一般的な習慣である。彼もまた、十一才にして妻帯の身となったが、同居すること八、九年にして妻が病死し、その後二十才にして再婚した。後に彼は法律研究の為、カルカッタのプレシデンシー・カレジに入学した。当時、初めてBA(修士)学位試験が採用されたが、彼はここで2ヶ月間準備しただけで、その試験に合格して学位を得た。

 二十才にして彼は官吏の社会に身を投じ、副判事となって、カルカッタの北東約160キロに位置するジェソアに赴任し、その後カルカッタやその付近に副判事として赴任した。その後書記官庁に移動した。生活の為とは言え、この偉大なる文豪が官吏となって上官に従属し、その配下として使われるということは、実は彼の心中、好むところではなかった。恩給支給の年令に達してから官を辞し、彼が友人に向かって胸詰まらせて言ったように、『しばらく自由の身と』なって、以来もっぱら文筆に親しみ、多くの傑作、秀作を発表すると共に、ある時は心を青年の高等教育に傾け、またある時は月刊雑誌バンガ・ダルシャンによって大衆文学の普及を図り、かつ評論界に一大権威をもっていた。一八九四年、ついにこの世を去ったが、英国政府はその功績を認めて、C. I. E. (勲章授与者)に叙しRal Bahadur の称号を贈った。

 青年時代においては、彼もまた当時の昔からの悪習慣から全く脱することは出来ず、幾らか気ままな傾向があった時期もあった。しかし、彼の精神には、常に宗教的な霊性のひらめきがあった。卓越した見識と共に、自然の前にひざまずくような優しい心も持っていた。また彼は神秘的なことに興味を示し、自ら占星学を研究したこともあった。

 彼は友情に厚く、一度意気投合した者に対する親愛はとても深かった。ジェソアに官吏として勤務していた時、ここで当時の有名な詩人ディーナバンドゥと親しくなったが、親愛の交際は終生変わらなかったし、友人の死後もなお、彼はその家族にもよく親愛を尽くした。

 彼はまた、最初、官吏の職に就いたとはいえ、他からの束縛、制約を受けることなく自分の思うところに従って行動するような気風を備えた人であった。書記官庁に在籍していた時、英国人上官の退社時間はいつも遅かった。しかしボンキムは5時以降の残業はしなかった。ある時上官に向かってはっきりと、『私はベンガル州知事の地位に昇らんとする者である。不必要なお付き合いをして、時間を空費するのはご免こうむる』と言い放ったので、左遷されたことがあった。また副判事として勤めていた時に、傲慢な英国人の判事が裁判所にやって来て、『ボンキムはどこにおるのか?』と呼び捨てに言ったのを聞いた。彼は憤然として、『私はただのボンキムではない。陛下の法律と正義を代表している者である。陛下の法廷を侮辱する者は、直ちに逮捕して相当の懲罰に処する』と叫んだ為に、その判事は慌てふためいて立ち去ったということである。

 ラーム・モハン・ロイによって開かれたインド散文学は、その後継者であるヴィディヤサーガルによって一段と進歩し、さらに洗練を加えられたが、しかし未だ梵語(サンスクリット)の伝習的拘束から脱却することが出来なかった。そこでボンキムは国民文学の興隆を図った。一方では一切の古典的原理からの脱却を目指し、他方では外国心酔者の迷夢を覚醒して、母国語であるベンガル語は、外国に劣らぬものであるから、どんなに深遠微妙な思想感情も、これによって描写することが出来る。そしていかに雄大で華麗な傑作でも、これによって表現することが出来るということを実証し、文学が国民的になるように努力した。この目的の為、彼は俗語と古典語との間に築き上げられた高い障壁を打破し、そして国民を一挙に無限の清らかな味わいの境地に導いたのである。そのため彼の文章は形式にとらわれず、また俗にも流されず、まさに独特な彼自身の風格を備えたものであり、明快、華麗な散文に叙情詩のような気品を加味したものであった。『文章は人なり』と言う。丸い球のように温厚で誠実な彼の人柄は、完全無欠な文才に表れたのである。

 初めはボンキムも、時のヨーロッパ主義的な流行に魅せられて、英文にて小説を書いていたこともあったが、直ちにその非を悟って、自国のベンガル語を用いることに改めた。彼よりも前に発表されたテク・チャンドのベンガル小説はあったが、しかし文芸の上で完全な価値ある創作を公表したのはボンキムが最初であった。散文学が芽を出して間もない時代であったから、これを取り扱う上では多くの困難があったが、しかし彼は、偉大な人格と、豊富な学識と、非凡な才能によって、ベンガル文学の進路を開拓したのであった。彼は先ず、古典文学で固まっている国民の頭を改造して、自由で、清らかで、新しい気運を興さなければならなかった。彼は文学界に横たわる困難な道を切り開き、これに新しい文芸の種を蒔かなければならなかった。彼はこれに成功し、立派な果実が実るのを見たのである。

 ボンキムの著作時代は、1865年から1887年に渡り、だんだんとヒンドゥーの宗教哲学の深い神秘に触れるようになった。彼の才能は多方面に渡り、文学に、また宗教哲学に、また歴史社会学に、また評論などに渡り、彼がやって出来ないものはないという観があった。14編ある小説も、その6つは純社会的なもので、5つは歴史的なもの、他は社会的且つ歴史的なものであった。1865年に発表したドゥルゲシナンディニーは、まさしくベンガル文学界において完全な小説の形態を備えた最初の創作であった。1867年カパルカンダラを発表する頃には、彼の名声は一気に上がり、彼はついに不朽、不滅の栄誉を与えられ、インド文壇において、不動の地位を確立したのである。1882年までは、彼は純文学的立場に立って、いくつかの創作を表したが、みな珠玉の力作であった。

 純文学と行動とは、ある場合においては、『敬神と金のように両立しない』ものである。しかし愛国の至聖に燃えるボンキムは、この亡国の惨状を見て、純文学にのみ立てこもって満足することは出来なかった。1882年に出したアーナンダ・マート(至福の僧院)、その他の数編は、国を愛し、世の弊害を除き、人民を救おうとする熱血がほとばしった傑作である。彼はこれによって美しい人格の完成を説き、やがて個人は国土の前に身を捧げて、個人と母国が融合した妙なる境地を以て、人生の最高目的とすることを暗示したのである。そしてアーナンダ・マート(至福の僧院)の特異な点は、その情景描写が素晴らしいばかりではなく、その核心は国民に過去のインドの偉大さと文化について考えさせたる母国敬愛の歌詞『ヴォンデ・マートラム』にあるのである。彼は25年後には、この歌はヒンドゥーの血を湧かして、全国民団結ののろしとなれ!と言ったが、その言葉はその通りとなって、今日ではそれがインドの国民歌となっている。インドにおいて、憂国、愛国の優れた人材が多いと感じるのは、ある一面ではボンキムが与えた力が大きかったと言われている。もし彼にそう言った一面がなかったならば、彼はただ偉大な小説家としては知られたとは思うが、憂国の士の尊敬を得ることは出来なかったであろう。

 

 彼の文芸創作を見れば、彼はロマンチシズムのインドの代表者である。彼はインドのウォルター・スコットと呼ばれている。それは彼がスコットに影響を受けた点があったばかりでなく、彼の最初の小説ドゥルゲシナンディニーは、スコットのアイヴァンボーにとても酷似しているだけでなく、インド文学界におけるボンキムの地位は、まるで英国文学界におけるスコットの立場と同じだったからである。19世紀の初めに欧州で起こった窮屈な啓蒙思想を打破して、自由な新しい情熱的な生活を欲した傾向は英国にも入ってきて、「湖上派」詩人の発生を促した。そのロマンチシズムの気運が盛んになった頃の英国では、スコットは文学界の寵児(時流に乗った人)であった。インドにおいても、19世紀の中頃、それと同じような運動が起こった。そしてその中心人物はボンキムであった。

 彼の文章の美しい魅力的な輝きは、ユーモアに富んでいることであった。その上、天性の上品、優しさ、慈悲・博愛の精神、神秘的な想像力は作品全編に溢れみなぎっている。その手に触れるところ、がれきも黄金に変わるような趣きがあった。彼は人生の美的な側面を強調し、醜悪なものを好まなかった。従って彼の創作には、現実主義もしくは自然主義に見るような、激しい獣的な性質や、または社会の暗黒面の描写はあまりない。彼はシェークスピアの同情と、バイロンの力と、ゲーテの智との集合であると言われている。

 インドの歴史家としては、それほど有名ではないが成功したのである。歴史上の史実を探究して従来のインドの歴史家の間違いを正し、多くの忘れられた功績を史上に掘り起こしている。性来の独創的見識は、当時、大胆にも『ベンガル人はアーリア直系の人種に非ずして他種族との混血民族なり』と断言するに至った。幅広い知識を持ち、真理を尊ぶ勇気を持っている者でなければ言えない言葉であろう。

実にボンキムは近代インドが産んだ文学界における天才であって、インド新文芸のエポック・メーカー(新時代の創始者)であった。彼ほど自国のベンガル文学に偉大な貢献をした者はいない。彼の天性の霊筆は、世俗の基準、規則から離れて、直ちに人生の深奥に潜む霊妙なる神秘に徹したのである。それゆえその風格は際立っており、他の追従を許すことはなかった。あたかもドライデンがシェークスピアを評した言葉『彼の超人的な境地には、誰も踏み込むことは出来ない』のような観がある。近代インド文学は彼によって輝き、インドの古き文明は彼によって呼び醒まされた。国民の心酔するところ、革命の血はほとばしり、今日ガンジーのサティアグラハ(真理の把握)運動の先駆けをなしたと言っても過言ではない。

佐野甚之助訳「印度創作集 二つの指環」原著者小伝より